これまでの人類の歴史を1日24時間に置き換え、今を24時ちょうどとすると、23時59分までは飢餓との戦いにあった(1)、と言われます。
狩猟採集の生活から、農耕牧畜をし始めたころから、人類とその生活は大きな変貌を始めます。
土地を選び、耕し、衣食住を可能なかぎり効率化することで、飢えを防ぎ、また子孫を増やすことに成功したのです。こうして、人類は文明を築いていきます。紀元前7000年ころ、発生したとされるメソポタミア文明には、農耕牧畜が行われていた証拠が見られる、とされています。
自然の脅威に翻弄され、常に飢えと死とに隣り合わせていた生活から、自らの手を加えて環境を変え、生き延びることを叶えた人間はその後も、たゆまぬ学習と研鑽をつんで、自然のしくみを理解し、利用することを可能にしてきました。
これは、単に人間のもつ能力が、知恵だけではなく、未来に希望を抱き、忍耐する、という力をも持ち合わせていたからです。すなわち、「原因と結果の予測と計算」の能力が優れていたのです。
「希望」も「忍耐」も、私たちは学校で美徳と教わるものですが、そもそもそれを美徳と決めた理由は、何だったのでしょう。その結果が、その個人だけでなく、ほかの多くの人間に恩恵を与えたからなのかもしれません。悪く言えば、計算高く、しつこい、とも言い換えられるのですから。
ともあれ、結果、それら多くの努力と獲得した知識は、集大成として現在の文明社会の礎となっています。血と汗と涙で築き上げた文明社会で、私たちは、果たしてその石垣となる石を積み上げて来た賢人たちの思うような幸せな社会に暮らしているでしょうか。
飢えから離れ、多くの病を克服できるようになったはずの現代社会で、なぜこうも自殺が多いのでしょう。なぜ、私たちは幸せになれないのでしょう。
近年増加する心の病の根源が、脳のしくみにあるとする説が注目されています。
そこには、農耕のはじまりこそが、心の病の起源に関わっている(2)、とされています。
人の脳には、他の動物と同じ部分があります。そこには厳しい自然の中で生き残るために、同じ種の生物どうしは平等で協力しあうことがインプットされています。そうすることこそが、生き抜くための前提条件であり、そうしあえることが「幸福」であると判断するようにプログラムされています。わずかな食べ物を隣人どうしでわけあい、喜びとすることで、その種が生き抜く戦略としたのかもしれません。
しかし、農耕をすることで、私たちは飢えを克服する一方、富を築くようになりました。富を築くことで、それまで分け合い、平等であったはずの社会は格差社会へと変貌しました。分け合うことの喜びを感じることは減り、脳はバランスを崩す、といいます。
さらに、国家ができると、民を食べさせるために、戦争が起きるようになりました。
人間のもつ鋭い感覚や察知能力は、自然に対してではなく、人間に向けられるようになり、疑い、恐れ、憎み、怒るようになりました。
農業をはじめたことで、人にとっての敵は自然から人へと変わったのです。
参考:
(1)世界ふしぎ発見:2014/05/24放送「ダイエット」
研成社「食べて、食べられて、まわる」高橋英一 著 P.119
(2)NHK「病の起源:うつ病」 2014.1放送