人間の「食べる」

生物誕生から、人類誕生までの道筋をたどると、およそ、人間という動物になるまで、どんなものを食べて来たかがわかりますね。

猿人、原人、新人と進化してきた人類ですが、基本的には他の霊長類の動物(サル類)と、かわらない部分を持っています。
そもそも肉食であるほ乳類のうち、樹上を住処と決めた霊長類は、昆虫などの小さな動物を食べていた、と考えられています。
今でも、原猿類という古い猿のグループには昆虫を食べるものが多くいます。
また、このころには植物界にも被子植物への進化も進んでいた、と考えられ、木になる実や種子も食べていた、と考えられています。
動物のなかで、ビタミンCを体内で合成できないのは、数種の動物以外はすべて霊長類で、もちろん人間も含まれます。
樹上での植物摂取ではビタミンCが豊富で、体内で合成しなくても不足はおきなかったため、しだいにビタミンCの合成能力が退化していったのではないか、と考えられています。

こうして、肉食と、植物食のいずれも食性として獲得していきながら、また不要なものは退化させるなどして、自分の棲む場所に適合した食性へと進化と分化をすすめていった、と考えられています。

やがて森を抜け、地上で二足歩行をする生物として進化していき、現在の私たち、ホモ・サピエンスおなるわけですが、現在の人類(ホモ・サピエンス・サピエンス)登場以降、人類の進化は止まっています。
これは、脳が大きくなり、環境適応力が知恵によって補われるため、姿形を変えなくて済んだから、という説もあります。

脳が大きくなった人類は、他のサルに比べて、格段に糖類を多く摂取する必要がありました。
同じ部分がある一方、人類が独自のもっている食性もあるのです。

さらに、他のサル類よりも体が大きくなった分、タンパク質、脂質も、多く必要です。
このため、ヒトにとって動物性の蛋白質、脂質も貴重であり、狩猟をして、これらの栄養素を賄っていました。

住まいを設け、火を操り、寒さや他の動物たちを遠ざけることに成功したころから、様相は変わってきます。特に火の獲得は大きかったはずです。食糧を加熱して食べることは、栄養となるものを増やしたでしょうし、鮮度がおちたものでも、食べることができるようになりました。

さらに、狩猟や採集のなかで、共生できるものを選ぶ目も養っていたと考えられています。
それは、たとえば、動物のなかで群れで行動するような獲物はまとめて生きたまま捕らえることもあったでしょう。
その中には、ウマやウシ、ヒツジなど、現在の家畜に繋がっていくものもありました。
また採集においても、保存の効くもの、きくないものがあったでしょうし、また保存していたつもりが、栽培することに繋がっていったとも考えられます。

手近なところで、食べ物を確保する知恵がついていくのは、大きな脳を獲得した人類には約束されたことだったのかもしれません。
さらに、サル同様、コロニーを形成する人類は、食べ物の確保によって家族を増やし、団結していったことでしょう。
そうした強固な団結力をもつ集団が各地で成立すりょうになっていったと考えられます。

やがて、大河流域では、乾いた土地でも水をひくことで、多くの収穫を得ることができることを知ります。ありあまる収穫を獲得し、多くの人々が集まってきたでしょう。こうして文明は築かれて行った、と考えられています。

少々の気候変動でも、飢えることがなくなった人類は、いよいよ数を増やして行きます。

大河流域での農耕のはじまりは、やがて都市の成立へと繋がっていきます。
農業を起点として、様々な技術が開発され、産業が芽生えた、と考えられています。
こうして、世界に四大文明が構築されていき、このきっかけとなった農耕を「第一次農業革命」と呼びます。

農業革命や、その後、大きく第二次、第三次、第四次まで数えられ、基本的には現在の農業は第四次農業革命で開発されたものが引き継がれ、機械化されたものとなっています。

農業革命はその都度、土地からの収穫と農作業の合理化を進ませ、効率的な食糧の育成と確保の法則が導かれました。
さらに、土地の効率化に伴い、家畜は減らされ、かわって石炭燃料による機械化が押し進められました。産業革命です。

こうして、困難と思われる課題を次々克服し、多くの土地から収穫を得られるようになった人類は爆発的に増えて行きました。

人口の増加に伴い、地域にはその土地に合った経済や文化が育って行きます。
土地の生産物による食文化もまた、そのなかの一つの要素となり、食材の保存方法に始まって、調理法など、土地に住まう人々の知恵が凝集していきました。
定住は、時に環境変動によって、そこに住まう人々の命も脅かす事態となることもありました。
そうした危機を切り抜けた経験なども、文化には刻まれて行きました。

食の知恵は生きる知恵となり、また、どう食べることが命を、健康を長らえるのかについても、様々な知恵が編み出されて行きました。

多くの経験から、その土地、国ごとに、食は文化のひとつとして築かれていきました。
さらに医療の発展に伴い、食が健康と密接に繋がっていることから、各国では食の研究が奨められています。
しかし、基本的には、人類に必要な栄養素はある程度決まっています。


1)エネルギーとなる3大栄養素

私たちは、何を、どのように、そして、どれくらい食べれば、健康な毎日を送れるのでしょうか?
まずは、体を維持する、あるいは成長する、活動するために、エネルギーとなる栄養素を摂取する必要があります。 エネルギー、すなわちカロリーを持つ栄養素としては、3つの栄養素があります。 中でも、エネルギーとしてすぐに使われるのは、炭水化物から得られる糖です。次いで、脂質もエネルギー源ですが、蓄積型のエネルギー栄養です。 蛋白質は、エネルギーになりますが、体をつくる材料でもあります。 
・たんぱく質
体をつくるための材料、またエネルギーにもなります。1gで6Kcal。

・脂質
主に蓄積型のエネルギーになりますが、体や細胞の保水機能とも大きな関わりがあるため、エネルギーとして以外にも重要な役割があります。1gで9Kcal。

・炭水化物
動くための直接のエネルギーとなります。1gで3Kcal。

エネルギーとなるこれらの栄養素の摂取量は、活動量によって変わってきます。 さらに、摂取エネルギーのうち、60%を炭水化物、15~20%をタンパク質、20~25%を脂質からとるのが適切とされています。

2)エネルギーにはならない2大栄養素

エネルギーとはならない栄養素でも、体の調節に不可欠な栄養素があります。 ビタミンや、ミネラルです。 
・ビタミン
体の働きを調節したり、促進させたりする働きがあります。

・ミネラル
要所要所で要となる働きをします。少しずつ摂取することが大切で、過剰に摂取すると危険なものもあります。

エネルギー源として食物を摂取する一方で、かならずしもカロリーの高いものでなくとも、このようなビタミンやミネラルの補給を目的に摂らなければならない食物もあります。 
これら、5つの栄養素を総称して、5代栄養素と呼びます。

1)皆、それぞれに適した栄養摂取が必要

私たちは、普段健康であっても、ときに体調を崩すことがあります。
そんな時、普段と同じような食事をとれないことがあります。
しかし、体調に合わせた食事を少しでも摂ると、回復を早めることができることがあります。

その時その時、必要とされるものを、コンディションに合わせて用意すると、体がきちんと答えてくれることは多いのです。
さて、普段、健康と思われる私たちの体も、実は一生という長いスパンの中のどこにいるかで、微妙にコンディションは違っています。 
また、男性か女性かという点でも、少し差があります。 
体を大きく、さらに成熟させようとしている成長期と、活動による疲労回復と健康維持を狙う成人期、また、新しい命の芽生えを請け負う妊娠・出産期、ついで、代謝サイクルの頻度が減ってくる高齢期のどこにいるか、によって体が要求する栄養は異なるのです。 

このような差を理解せずに、「好き嫌い」だけに偏った食事をしていると、体の要求に応じられないまま、その時期を、言ってみれば栄養失調の状態にさせかねません。
摂るべき栄養がとれない状態が続くと、思わぬ怪我や病気の元にもなりかねません。

2)日本人の食事摂取量

そこで多くの統計や研究から、男女別、各ライフステージ別に、適当とされる、おおよその数値が示されています。
日本においては、厚生労働省によって「日本人の食事摂取量」という指標が示されています。
これらの指標は、あくまで目安ですが、ここからあまり逸脱した食生活を長く続けると、様々な支障を来す恐れがあるとされていて、各個人がある程度抑えておいたほうがいいものです。

日本での食事バランスガイドに先駆けて、食事に関する指標の作成は海外では早くから取り組まれていました。

ノルウェーでは、1950年以降、食事と心臓疾患の関係が明らかとなり、1963年公式の報告が出され、1970年代から健康部局、農業部局等関係機関が協力体制を組んで推進した結果、1970年代後半を境に心臓疾患による死亡率が低下するという結果を得ています。

これに続き、1977年、アメリカでは有名な「マクガバンレポート」が発表され、食生活の改善に、国策として取り組みはじめます。1980年にはNutrition and Your Health: Dietary Guidelines for Americans「アメリカ人のための食事指針」が示されます。この指針は5年ごとに見直しが行われ、現在用いられているのは2010年に発表された第6版です。

このような国を挙げての健康への取り組みは各国で行われるようになり、日本でも1985年、当時の厚生省によって、「健康づくりのための食生活指針」が策定されました。現在では、「食事バランスガイド」を用い、食事に組み込む食材のバランスも含めて指導が行われています。

2003年、世界保健機関(WHO)と国連食糧農業機関(FAO)によって報告された「食事、栄養と生活習慣病の予防」(Diet, Nutrition and the Prevention of Chronic Diseases) では、栄養摂取目標の範囲値が示されています。

このような政策による効果から、1965年以降、先進国では軒並み、平均寿命を延ばし続けています。

参考
厚生労働省 3 平均寿命の国際比較
図3 主な諸外国の平均寿命の年次推移(http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/life10/images/zu03.gif)
(http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/life10/03.html)

農林水産省 我が国の食生活の現状と食育の推進について(H16.9.16企画部会資料)
(http://www.mhlw.go.jp/shingi/2004/12/dl/s1224-12p.pdf)
資料:並木正吉著「欧米諸国の栄養政策」から作成

農林水産省 世界のフードガイド
http://www.mhlw.go.jp/shingi/2004/12/dl/s1224-12r.pdf

http://ja.wikipedia.org/wiki/食生活指針

Dietary Guidelines for Americans 2010
http://www.cnpp.usda.gov/publications/dietaryguidelines/2010/policydoc/policydoc.pdf

http://ja.wikipedia.org/wiki/ヘルシーフードピラミッド
http://ja.wikipedia.org/wiki/食事バランスガイド

紀元前3000年ころ、チグリス・ユーフラテス川流域で起こった農業は、その後7000年を経た現代に至るまでに、新たな工夫や発明、また技術革新による幾度かの農業革命を経て、変化してきました。

農業の大きな変革は主に、乾いた土地に水をひいて農地化する灌漑農業の始まり、農耕には向かない丘陵地などでも品種を選んで降雨条件に合わせ収穫する知識の習得、家畜の飼育や豆類の栽培で、土地の地力保持と労働力に活かす方法の確立、さらには土地を区切って季節に応じた品種を栽培しながら、区切った土地を耕し回していく輪栽式農業の成立などが数えられます。

中でも、輪栽式農業が成立した18世紀イギリスのノーフォーク地方は、当時、全イングランドの穀物生産量の9割を担った、といわれ、イギリスでは余った収穫を輸出するほどになりました。これに伴い、イギリスでは人口が増大し、都市に出た人々は工業に従事し、やがて産業革命へと繋がっていった、ともされています。

輪栽式農法は、土地と、家畜と人手から得られる労働力と肥料、クローバー栽培による窒素固定によって、最大限の収穫量を得られるよう組まれていて、土地が痩せることなく、家畜と収穫を維持することができる、言ってみれば、生物と土地の力を活かしきった完成された農法で、現代でも広く行われています。

農業の発展によって人口を増したイギリスは、工業や産業が発展し、石炭を動力源とした技術も登場し始めます。また自国以外の植民地においても収穫高を上げ、世界で最も富む大国となって行きます。
このような動きはイギリスに始まって以降、やがてヨーロッパ全域へと拡大していきます。経済の発展に伴って、貧富の差も生まれましたが、一方、労働から開放された富裕層も増し、芸術や学問も発達しました。化学や、物理学、生物学など、現在にも繋がる多くの研究や発見がなされました。食を基盤とした安定した生活が広がり、このような文化を発展させたのです。

そのなかで、ある画期的な証明がなされました。1841年に発表された「リービッヒの最小律」です。
それまで、植物は生物の屍骸や排泄物の腐敗したものを栄養として生長する、と考えられていました。しかし、リービッヒは研究の結果、植物の栄養は必ずしも有機物に頼っておらず、必要な成分、元素が揃えば、土がなくても育つことを証明したのです。

このころ、南米を植民地化していたスペインは、ここでとれる鉱物をヨーロッパに輸出することで大きな利益を得ていました。南米は鉱物資源が豊富で、植民地統治が終わっても主力な産業でした。そのなかで、チリでは窒素源となる硝石が採れる鉱脈が発見されます。これが、ヨーロッパで肥料に化学合成され、用いられるようになります。
カリウムにおいても、カリウム鉱床から採掘され、1868年にドイツでカリウム肥料の工業規模の生産が始まります。
リンについては南米でとれたグアノ(化石化した珊瑚礁や鳥の屍骸など)をはじめ、リン鉱床が発見されると、それが主体になっていきます。

窒素、カリウム、リンのいずれも鉱物資源に頼るようになり、肥料を生産する工業に農業は依存するかたちとなっていきます。
化学肥料を用いるようになった農業は、堆肥に頼らなくなり、また労働力として機械が導入されるに従って、家畜は数を減らし、もっぱら食肉用に飼育されるようになっていきます。
しかし、そのうち、鉱物資源に頼った農業について、疑問や不安が呈されるようになってきまいきました。

1906年、ハーバーボッシュ法の開発で、窒素肥料が化学的に合成できるようになり、窒素源については鉱物資源への依存を脱します。
しかし、リンとカリウムについては現在も鉱物に頼ったままです。

化石燃料と無機肥料の活用で、土地は常に生産できる状態になり、多くの人材が農業から開放され、また農業の生産効率も格段に上がったのです。これにより、農業以外の産業も増え、人口はさらに増大することになります。
産業の発展は経済を活性化し、さらなる発明や技術革新はもてはやされ、華やかな時代となっていきます。
自由主義の浸透にともなって、貧富の差が生まれることにもなりましたが、人々は土地の世話から開放され、何にでもなれる、何でもできる自由を獲得したのです。

労働力も生産物も、化石燃料や鉱物などの地下資源に頼るようになった人類は、ここでついに生物であるにもかかわらず、食物連鎖を脱し、食べ回しの世界~生態系にすら属さないようになりました。


鉱山で掘削される硝酸塩や、化学合成で作られる窒素肥料によって、農業は、どんな土地でも可能になりましたし、その条件さえ満たせば、ほぼ間違いない量の収穫も望めるようになりました。
大きな土地をもつ地方や国では、その面積を活かし、広大な耕作地にし、管理もオートメーション化され、農業は工業化されていきました。
有り余る収穫は、輸出されるようになり、その国を支える重要な産業となっています。


参考
http://ja.wikipedia.org/wiki/産業革命
http://ja.wikipedia.org/wiki/農業革命
http://ja.wikipedia.org/wiki/緑の革命
http://ja.wikipedia.org/wiki/ユストゥス・フォン・リービッヒ

独立行政法人農業環境技術研究所「リービッヒの無機栄養説と土壌肥料学」
(http://www.niaes.affrc.go.jp/magazine/102/mgzn10211.html)

日本肥料アンモニア協会
(http://www.jaf.gr.jp/hiryou/bunrui/tisso.htm)

「食べて、食べられて、まわる」 高橋英一 著 研成社


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農業を支える鉱業は発展しさらに、鉱物資源から鉄鋼やエネルギーへと変える技術が開発され、多くの産業で、機械化が進みました。人畜の力を大きく超えた機械の効率を得たイギリスは、国力を一気にあげていきます。

農業に機械が導入されるようになると、家畜に使っていた土地は作物を作ることにあてられるようになり、増えた作物によって多くの人口を支えることができるようになりました。また、肥料は必ずしも動物の糞尿や、根菜類の根に棲む窒素固定細菌の手を借りなくとも、鉱山から掘削された硝酸塩や、リン石灰などの無機栄養分を与えれば、きちんと実りましたから、肥料の生産の手間もカットされたのです。労力、肥料の面で大きな役割をもっていたウマは大幅に減り、家畜は食肉用にのみ飼育されるようになっていきます。



農作物は、必ずしも人や家畜による肥料に頼らなくてもいい。
この発見は、非常に注目、賞賛され、リービッヒはイギリス・ロンドン王立協会から表彰を受けています。

厚生労働省のホームページに、日本食のなりたちについて簡潔にまとめられたテキストが公開されています。写真や画像はありませんが、わかりやすい文章で書かれています。日本食について、ざっとお知りになりたい方にはご一読をおすすめします。



はじめに――アジアのなかの日本食

I 日本食形成へ道のり
 1 日本食の起点
 2 日本食の形成
 3 食生活の現実

II 日本食文化の充実
 1 大饗料理
 2 精進料理
 3 本膳料理
 4 懐石料理

III 日本食文化の発展
 1 自由な料理の時代
 2 都市の料理文化
 3 村々の食生活

IV 近代の食文化
 1 西洋料理の受容
 2 日本料理の展開
 3 北と南の食生活

おわりに――日本食の現在


 

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